2008 「想い出の海」に寄せて
今年も桜舞う季節となり、(大変恐縮ながら)更新が滞っていたこの「想い出の海」が気がかりで、なんとか4月20日の東さんの命日までに今一度復活をと思いました。
最新の記事として、掲示板「HAND IN HAND」でも書き込みをいただいた、昨年12月の西日本新聞の記事を久生さんからご提供いただいたので、ご紹介させていただきたいと思います。
※抜粋という枠に収まっていないため、別ページにリンクを貼りました。
あくまでも、個人的な範囲での閲覧にとどめて頂けます様、お願い申し上げます。
http://www.endless-kid.net/memory_higashi/?page_id=38
2006年の東さん7回忌を節目にその後とくにイベントが催されることもなく、静かに時が流れてきました。エンドレスとしても、昨年10月エレン・スチュワートさんの「世界文化賞受賞」を機におよそ一年ぶりの更新となる「歓迎会レポート」を掲載するに留まりました。∞ENDLESS∞KID BROS.は、2000年12月にこのサイトとともに発足して5年目で実質的にグループでの活動がなくなり、オフラインでのファンミーティングも行なわなくなりました。こちらも、静かに時が流れるのみです。ある意味、節目のこの機会に、少しこの「想い出の海」を含めた∞ENDLESS∞KID BROS.というサイトについて考えてみたいと思います。
2006「 東さん7回忌に寄せて」
2006年4月20日 故東由多加氏の七回忌を迎えた。
東京キッドブラザースの創始者であり、最初で最後(唯一)の主宰者である故東由多加氏。キッドはまさに彼の人生のすべてであり、彼の生んだキッド作品は、“東由多加の世界”であったといえるだろう。
1969年、東、23歳の冬。東京キッドブラザース(当時は「東京キッド兄弟商会」)設立。それから30余年、54歳で世を去るまで、いや、たとえこの先、誰も彼の姿をこの世で目にすることがないとしても、彼がキッドの演出家であり、劇作家であることに変わりはない。
「東由多加が遺した言葉」は、2002年4月20日、久生実子さんの手によって而立書房から出版された。久生さんは、キッドの旗揚げ公演でキッドに出逢い、以後80年代まで、東氏のもとで制作としてキッドを支えてきた方である。本のあとがきとして添えられた久生さんの言葉に、『私たちの青春が確かに存在し、熱い時代を彼と共に生きたという誇りをぜひもう一度思いかえしてください』とある。
『彼が真に求めていたものは何だったのか』
東氏は、過去に語っている。芝居に意図というものは存在しない。芝居を観たお客さんが感じたことがすべてなのだと。同じ時代に生き、様々な関わり方で多くの方が東氏とその作品に触れてきたことだろう。
『私たちが彼を通じて求めてようとしていたものは何だったのか』と思い返すことで、東氏の言葉が、この21世紀で“生きた言葉”として胸に響いてくるに違いない。(R.)
アーカイブの記事は、久生さんのご協力により、「東由多加が遺した言葉」に納まりきらず、掲載が見送られた原稿を<番外編>として掲載させて頂くことになりました。東さんのご冥福を心からお祈り申し上げ、ここに、21世紀への扉を設けたいと思います。2006.4.20 ∞ENDLESS∞KID BROS。
